曇天焉んぞ 第三章 密会
ソラとオイゲンが殺伐とした会話をし、オイゲンもフェルナンドへ報告を果たした本部では、フェルナンドがアドルファスと非公式の会談をしていた。
「参謀総長殿はお疲れ、かな?」
少々ふざけた様な口調で話しかける貴族然とした初老の男性は、共和国軍・元帥アドルファスという。くすんだような金髪は20年前に比べてだいぶ白髪が増したが、碧眼には当時と変わらぬ輝きがある。
とはいえ、それはだいぶ穏やかさを増してはいるが。
彼は帝国分裂前最後の皇帝、ヴァルターとも親しかった大貴族の一人であり、かつて彼が革命派についたとの報は大きく帝国を震撼させたものである。
ヴァルターに託され、ソウとフェルナンドの後見人としての役割を果たしていたが、二人とも無事に自立した今は、新たに引き取り―ー今回は自らから―ー後見人を務めるソラとデイヴを養育している。
「いや、そんなことはありませんよ」
敬意を持って彼に答えた参謀総長はフェルナンドという。かつては帝国教会にて神官長であったソウの補佐として神とやらに使えていた男だが、元々の出身はムスターフ一族という教会を牛耳っていると噂される一族の当主の嫡男である。
革命に便乗したために、一族からは勘当されているが、未だに一族の慣習に従い、ターバンを頭に巻いて目を閉じている。
なんでも、ムスターフ一族の本家である”砂漠のアメン一族”は月を聖なるものとして信仰するが、それだけでなく、大きく見開かれた目には破魔の力があると信じて居るのだという。
その力は一族全員が持つ、しかし、そのような力は無闇に使ってはいけない、ということで皆目を閉じているのだという。最も、”砂漠のアメン一族”の末裔であることを隠すために、敢えて風習を捨てるものもいるが。
その変わった風習のために、”アメン一族”の末裔の色を見たものは非常に少ないが、アドルファスは知っている。彼の短く切られた髪は銀色で瞳は透明感のある紫であると。
つまり、”アメン一族”の特徴――癖の強い黒髪にスメラ一族とはまた別の色合いの黒い瞳―ーを全くと言ってもいいほど持って居ないのだ。
「全く。敬語を使う必要はないと言ったのに、お前は…」
あきれたように、しかし優雅にアドルファスはため息をついた。確か前回”これ”を行った時も同じことを呟いたように思う。
もはや一種の社交辞令ではないか。時間が限られているのにこれで時間をつぶすのは馬鹿々々しいだろう。そう思い、本題へと切り込んだ。
「ときにーーザルツバーグ、どう思うかね?」
そう。ソラが指摘した通り、あまりにも臭すぎるこの守備戦。国防を預かる者同士、一計を案じる必要がある。アドルファスが今回フェルナンドに会談を要求したのはその為だ。彼が多忙を極めるため、一週間と間が空いてしまったが。
「…あなたのところのソラ少佐と同じ意見です」
フェルナンドの答えに対し、アドルファスは驚きの念を禁じ得なかった。アドルファスはあの青年がフェルナンドを苦手に思っており、また逆もしかりであると知っていたので、地位的にも敢えて二人が自主的に意見を交換するとは思えなかった。
その心が顔に出ていたのか、アドルファスは苦笑をして付け加えた。
「彼はうまいですね。ええ、とても。…この一か月、私は彼とは話していません。でも、彼と話すような人物が家庭にいるので」
「ああ、リンか」
そういえば、彼女は友人のアグネスと共に一週間前に自宅に遊びに来ていたな、とアドルファスは思い返した。そのことを甘い匂いで一杯な廊下で謝罪するデイヴから聞いて居た。
確かその後もアグネスという少女の願いやらで、ソラとデイヴ(野次馬でケマルも)がリンとアグネスと遊びに行って居たらしい。実質休暇中の士官が何しようが上官の知るところではないが、中佐よ、なぜ付いていった。
「ええ。彼女が言って居たのです」
思い出したのは、漸く家に帰った三日前の夕食の事だ。15年前に引き取られてすぐの頃は人見知りや、ソウを失ったショックでフェルナンドやシュラに対し殆ど心を開かなかった彼女は、今や家族の団欒の中心にいると云っても過言ではない。
元気になって何より、といったところだろう。そんな彼女が夕食の折にこう言ったのだ。
『今日、ソラくんと、ソラ君の上官のケマル中佐にあったんだけど、ザルツバーグ守備についてね…』
最初、なんて軽率な、と思った。軍事作戦について、たとえ大学生とはいえ、全く知らぬ相手に簡単に漏らすなど。しかし、これは”あの”ソラ少佐だ。何か考えたのだろう、と思い、行きついた。
「彼、私に意見を届けるために、わざわざリンの前でああいったのですね」
確かにアグネスという、不確定要素も存在する。しかし、それでも彼はリンを通してフェルナンドに『オイゲンが怪しい』と伝える方を取ったのだろう。
他の誰でもなく、”アドルファス閣下の懐刀”と謳われる彼が現場で見て発する言葉だからこそ、響く言葉だ。もし他の者が「怪しい」と言っても、フェルナンドはここまで重きを置かなかっただろう。
「…そもそも、私は確かに彼が苦手です。でも、信用はしてますよ。信頼しているか、となると話は別ですが」
「成程。どうして、かね?」
笑いを(上品に)こらえる元・後見人の顔を少々睨みつけながら、フェルナンドは己の率直な意見を述べた。
「苦手な理由は、彼が何を考えているのかが分からない、その点です。確かに彼は共和国への忠誠が厚い男です。かつて私の目の前で、同僚と共和国の安全を天秤にかけた結果、その結果、同僚を見捨てた程ですからね。そこには何の躊躇もありませんでした。
成程、国益のためには手段を選ばない男です。――しかし、彼の何がそこまでさせるのかが分かりません。私の見立てでは、彼は少なくとも…10歳までは貴族の元――それも由緒ある貴族です―ーで育ったのでしょう。
あくまで不良を装っていますが、如何せん、所々に育ちの良さが滲み出ています。なぜその貴族から離れ、共和国のために働くのか、それが分からないのです」
瞼に隠された藤色の瞳はきっと苛立ちの色で彩られているのだろう。そう、アドルファスは思った。なぜなら、彼の経歴を隠し、軍へ入れたのは誰でもない。彼の目の前で貴族然に微笑んでいる、このアドルファスだからだ。
あくまで帝国大貴族であり、建国の立役者の一人でもあるアドルファスに公然とたてつく者はいない。しかし、多くのものが彼の足を引っ張ろうとうごめいている。
なにせ、伏魔殿で育ち勝ち抜いてきた男だ。様々な事に手を出しているに違いない。だから…と彼にとって不利な情報を探しているのだ。
けれど、そういった情報がかつて一度も漏れたことはない。千年前から彼の一族が領有するフロアーー我々の世界で云う屋敷だーーには万全の警備システムが敷かれており、噂によれば、かの皇帝のそれよりも厳しいので、一度も侵入者を許したことがないのだという。そんな一族を束ねるアドルファスだからこそ、フェルナンドですら握れない情報を隠すことができるのだ。
シュタフを統治するだけの力量を持ちながら、敢えて表だって政治に干渉せず、皇帝一族に並ぶ権力を持ったアドルファス。フェルナンドは彼の口を割らせることができたのなら、多大なる情報を得ることができると信じている。
忌々し気に頭を振りながら、フェルナンドは話をつづけた。歴史学者でもある彼の持論としては、”支配者は支配をすることによって権力を失う。なぜなら、統治すれば人間である以上失敗をする。そして、失敗をすれば人民からの反感をかって追放される”だ。
つまり、逆を返せば、支配をしてこなかった一族は、支配者と認められるが、失敗のしようがないため半永久的に統治者として認められる。
これを情報を使うに置き換えれば、情報を持って居ながらそれを使わないアドルファスは半永久的に失敗しない、ということになる。だから、失敗をカードに彼を交渉の場に引き出すのは少なくともフェルナンドには不可能だ。カードが彼には揃えられない。
だから、話を続けるしかなかった。
「次に信用、の話ですが…彼、あなたの”目”でしょう?あなたが軍の隠された部分を探るために放っている軍人でしょう。だからです。それだけです」
成程、成程。アドルファスは苦笑をこらえながら、思考した。かつての”高飛車なおバカな坊や”は立派に成長したではないか。己の”兄貴分”であるヴァルター帝とかいう男が今の彼を見たら、どのように反応するか、それを思わず想像してしまった。
生きていれば80を余裕で超す彼は20年ほど前に病死している。物心ついて以来、彼に振り回されてきたアドルファスだが、不思議と彼が死んだ際には、どうしようもない虚無感が胸を支配したものだ。
生きていた当時は、兄貴分が死んだら自分の心にはきっと解放感に満ち溢れると信じていたのだが。思いのほか、彼の影響力は大きかったらしい。
「確かに、彼は私の”目”だよ。…巷では私の事を飾り物の元帥などと呼んでいるようだが…私はそうあるつもりはないからね」
そう。20年ほど前、フェルナンドにこう請われたのだ。『あなたには申し訳ない。しかし、軍人になってもらえますか。革命軍幹部全員―ーソウ以外ですが―ーにお願いしているのです。この革命、我々だけのためにさせないために』
ーー文民統治の理想を現実のものとせしめる、という意図以外にも、旧貴族を抑えるという意図があったのだろう。
だから、アドルファスは大人しく統治される側に回った。帝国の皇族と並ぶ名貴族という肩書を捨て、共和国軍元帥という新しい地位を得た。最も、同じ元帥にはフェルナンドもいたが。
(彼本人は参謀総長であることを理由に就任を渋ったらしいが、一部革命軍人が承知しなかったらしい)
「そして、ソラに対する推測だが…、私がはっきりと何か言うことはまだできない」
「まだ?」
いぶかし気なフェルナンドの様子にアドルファスは申し訳なさそうに目を閉じた。これに関しては、アドルファスに権限とやらはない。そういう、約束、なのだ。
「そう。あの子が25になるまではあの子を完全に守ってやる。そういう約束なんだ」
あの時、彼は傷ついた子供であった。守られるべき子供だったのだ。その子供が保護を求めてきた。だから、その保護を与えただけ。
複雑に見えるが、そういう単純な話なのだ。ただし、その子供の心中が複雑であったけれど。
「25ですか?」
フェルナンドが疑問に思うのは仕方がないだろう。共和国は『義務を果たすことによって権利は生じる』という原則を掲げている。だから、満19歳から満20歳の二年間軍役に就く、つまり、国防の義務を果たすことによって参政権などといった権利が国民に発生する。
その結果、共和国における大人とは、軍役を果たした20歳以上の者となる。(但し、諸事情により軍役を果たせなかったものは、20歳以上であっても軍役を果たすまで権利を持たない大人として扱われる)
それなのに、25までまるで子供の様に保護されるなんて…。理解ができない。
「ああ、25だよ」
そこでアドルファスは短くため息をついた。
「私は彼に、ゆっくり大人に成って欲しかったんだ」
ゆっくり大人に成る。それはそれは、一番恵まれていることではないだろうか。
それでも、あの子供ははやく大人に成ろうとした。どうしてもどうしても、と懇願した子供の顔が忘れられない。
「どうして行違ってしまったのかな…。まるで父親そっくりだ」
一生を全力で駆け抜けようとする彼の姿は、短命を見事に散らせた彼の父親の姿によく似て居る。そういえば、あの男もはやく大人になろうとしていたものだ。
「父親は誰ですか?」
眉をひそめたフェルナンドを認め、アドルファスは呟いた。彼の名前を口にするほど、彼は友人の死から立ち直ってはいない。
だから、言えるのはこの一言。そしてそれがすべて。
「君のよく知る人物だよ」