ユメアト

曇天焉んぞ 第四章 白

「ねえ、ソラくん」

「俺は何も言わねえぞ」

 取りつく島のない幼馴染にため息をついてリンは彼の座るソファーの隣に腰を掛けた。ここが昔から変わらないリンの定位置だ。そういえば彼と会ったばかりの頃は、よく彼の膝に乗って彼を怒らせたものだ。今でも短気な彼ではあるが、これでも丸くはなった方なのだ。

「うん、知ってるよ」

ソラの隣に座って目を静かに閉じたリンは、親友がリンの様に簡単にソラの隣にいるのをひどく羨ましがっているのを知って居た。なにせ、彼女はソラに近寄りたくても、ソラ本人に近寄ることを拒否されているのだ。そりゃ傷つくだろう。リンは此の3歳年上の幼馴染にある程度は寛容だが、今朝の一件には流石に腹を立てていた。

「だから、これは独り言なの。何故か、ソラくんはいつも人を寄せ付けないでしょ。でもね、ソラくんはそれで良くても、それで傷っついてる人も居るんだよ…。良かったら、彼女にも少しは構ってあげて」

 独り言にしては長すぎる独り言をソラはタブレットを操りながら聞いて居た。読んでいるのは上司(フェルナンド)から出された余計な仕事だ。なまじ彼が自然の”三部族”の言語の一つに通じているため、帝国以前の所謂”有史”以前の文書を解読するのを手伝う様上司命令で強制されているのだ。データで文書を渡してくるところがせめての救いだろうか。

「俺は」

 独り言を終え、ため息をついて居たリンは、こぼされた幼馴染の声に驚いた。彼がこのことに積極的に発言するのは初めてだったからだ。ずっと、行動だけで自身の意思を示していたーー拒絶していたのに。

 窓の向こうの雨をみながら、もう一度、ゆっくりと、ソラはおそるおそる口を開いた。

「俺は、アグネスの告白を受け入れることはできない」

 そんなソラのつらそうな声を聴きながら、凛が思い出すのは今朝の出来事。

 曇り空、いまにも雨が降り出しそうなそれ。ソラは特に訓練もない土日を、週中の食料品の買い出しに使おうとしていた。さすがに一人で一週間の男三人分、しかも食欲が尽きないものが一人混ざっているので、荷物持ちとしてデイヴを連れてきている。

 季節外れの長袖を着ている彼は、周囲の注目を集めていた。しかしソラはそんなこと気にせずに、質のよさそうな食材を的確に選んで籠に放り込んでいた。自宅に居る三人の中で唯一ソラが料理ができる以外、残念ながらアドルファスにもデイヴにも家事能力はない。だから、ソラは食事には手を抜かないようにしている。

 必要なものを全て買い終え、昼食を市場の近くのファミレスでとる。デイヴはどういうわけか、どんな高級レストランよりもこのファミレスの料理を好む。膨大な量を頼むから、かもしれないが、ソラが思うに彼らの故郷の味に似て居るからかもしれない。

 そういう風にして、彼らが昼食をとって居た時だった。ソラの通信機が音を立てた。

 円上の通信機のスイッチを入れると片手サイズの像が現れる。誰の像かを認識した瞬間、ソラは眉間にしわを寄せた。なぜこいつと休日に逢わなければいけない。

「なんだ、お前か。眼帯」

『坊ちゃん、上司にそれはないでしょ…』

 ソラが当然のように渾名で呼ぶので、ケマルはあきれつつ、いつもの様な返答をつい反射でしてしまう。厳密には所属している軍が違うが、それでもケマルは中佐であり、ソラは少佐という明確な壁がある。それでもソラは気にした様子はない。

「知るか。何の用だ?」

 用がないのなら連絡するな。そう言外に告げているのだ。そもそも、ソラは彼に自身の通信機のアドレスを教えた記憶はない。アドルファスが勝手に教えたのだ。アドルファスの事は尊敬するし、感謝しているが、必要以上の事をやってくれる、との思いがソラにはある。是に関しては苛立たしくてたまらない。

「えっとね、今逢いたいんだけど、坊ちゃんどこにいる?」

 それを言った瞬間、ソラは誰もが驚くような速度で通信機を切ろうとした。しかし、それをあらかじめ察知したケマルは一言、それで十分な一言を発した。

「デイヴ、ソラに切らせるな!!」

 それで事足りた。

 ソラがあともう少しの力で切ることができる通信機は、デイヴがソラの腕を強くつかむことで阻止された。

 沈黙が二人の間を支配する。

 どちらも何も音を立てない。ただあるのは周囲の雑音だけ。

「…いたい」

 洋々とソラはその一言を発した。そして、その一言はもしリンが聞いたら驚くようなそれだった。

 ソラが珍しく弱音を吐いたのに、それでもデイヴはソラの右手首を離そうとしない。ソラは眉間のしわを深めながらまずいな、と心の中で呟いた。だからこの馬鹿は軍に入れたくなかったんだ。

「デイヴィット。離せ」

 溜息を一つついて、ソラが命令して漸くデイヴはソラの手首を話した。うっすらと痣になっているソラの右手首を見て、彼は目に見えて狼狽えて見せた。

「え、あ、その、ソラ…そんなつもりじゃなかったんだ…」

「気にすんな…あと眼帯あとで殺してやる」

 デイヴにこんなことさせやがって…。と悪態をついたソラはニヤついてるケマルの像に目をくれて一言言った。

「フーゴ区にあるラフォーレビル102階にあるレストラン。ザリエンだ」

『りょーかい!あ、リンちゃんとアグネスちゃんも居るからね』

 その瞬間、ソラは問答無用で通信機を切ったのであった。

「よお、坊ちゃん。通信機いきなり切るって酷くないか?」

 陽気に女子二人の引率をしてレストランに入って来たケマルに対し、ソラは思い切り無視を決め込んでいる。コーヒーを飲みながら論文を読んでいるさまは、どこかのサラリーマンのようだ。残念ながら、デイヴを無視する形になるが。

「…ケマルさん、なんで…」

 デイヴは自身が昼食に注文した最後の一皿をつつきながら、ふと愚痴をこぼした。普段無邪気に明るい彼がここまでへこむには、相当な事があったのだろう。あのケマルの突然の通信の後に。

「悪い悪い。デイヴ。今度焼肉奢ってやるから許してくれ」

 その瞬間、デイヴは目を明らかに輝かせ、ソラはただでさえ大きく開かれた眼をさらに見開いた。今、こいつなんて言った?

「ケマルさん、云いましたね!絶対ですよ!!いいですね?ホゴにしないでくださいね?」

「デイヴ、反故、だからね…」

 呆れ気味にデイヴに注意を入れたアグネスは、ソラの反応と普段のデイヴの食べる量を思い出して察した。ケマル中佐、あなたのお財布大丈夫ですか。とは優しいアグネスは流石に言えなかった。が。

「デイヴ、それ悪いんじゃあ…」

 馬鹿正直に言ったリンはソラにギロリと睨まれて言葉を途中で飲み込んだ。…ソラ少佐、そこまで引きずるか。

「…で、来週末にでも眼帯はデイヴに焼肉奢るのはいいとして」

 ソラはカタンと音を立ててファミレス特有の安物のカップをソーサーにおいて話題を切り出した。

「てめえ、なんで女子二人引率してるんだよ」

 お前は犯罪者か、ロリコンか。という言葉に、ケマルは盛大に顔をひきつらせた。

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