曇天焉んぞ 六章 カウントダウン
シュラは自宅の書斎で一人の青年と話していた。しかし、青年と言っても、彼は実体ではない。通信機の移すホログラムでしかない。
それでも、彼女の家の最新鋭の通信機は彼のどんなに小さな表情の動きすら映し出すほど、十分に高性能なものであるから、実体の彼と会っているのような錯覚を彼女に与えた。
彼女はカップに注いだコーヒーをいつものように優雅に飲み干すと、口を開いた。
「あのねえ、ソラ」
シュラはややあきれながら、落ち込んでいる様子の彼に話しかけた。シュラはソラが共和国に来てすぐのころから彼を知っている。
だから、端から見たら無表情に見える彼がその実かなりへこんでいるのを知っていた。
「あなた、もう少し器用に生きられないのかしら?」
さばさばと、事もなさげに重大なことを言うシュラに、通信機は不満の声を届けた。
『そんな、無理なこと言わないで下さいよ』
俺は精一杯器用に生きようとしていますよ。
そういう彼に、シュラは思わず鼻を鳴らして笑ってしまった。今、この切なげに、悲しげに笑いながら、どうに言葉を絞り出す彼のどこが器用だというのだ。不器用そのものではないか。
昔からそうだった。本来の彼は器用なのに、隠したい過去を必死になって隠そうとするあまり、不器用な性格になってしまったのだ。
そう、この子には隠し事は合わないのだ。隠し事はこの子の長点を消してしまう。けれども。
そう、けれども、隠し事をしなければ、この子はきっと殺されてしまう。
それを知っているから、シュラはソラに隠し事をやめなさいとは言えなかった。
ただ彼に言えることは、素直に生きるように、とその一言なのだ。
素直に生きることができるのなら、この子の人生はきっと少しは苦痛から解放されるだろう。
「あのね、ソラ。私はあなたのことはそれなりに知って居る積りよ。
あなたが苦しいこと、悲しかったこと、辛かったこと、全部を話してくれたから」
彼がいたからシュラは10数年前の痛みを克服することができた。だから、今。シュラはソラの痛みを癒してあげたい。
「だから、ねえ、ソラ――」
『失礼、某糞上官から連絡が』
あとでまた連絡します。
話しかけた言葉は、彼の事務的口調によって遮られた。
確かに、私的な事よりも公的なことを優先せねばならない。それは、シュラとて痛いほどわかっている。
なにせ、彼女だって公的な地位、大統領であるということにしばしば縛られているのだから。
でも、ねえ、ソラ。
悲しいよ。
だって、伸ばした手が届かないんだ。
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「遅いぞ、ソラ少佐」
不機嫌そうなオイゲンに、到着早々に文句を言われ、ソラはただでさえ不機嫌そうな顔をさらにしかめた。何が悲しくて、こいつの顔を拝まねばならないのだ。
「…悪いな。こちらにも用事があったんだ」
大体、休日に呼び出されるなど思いもしなかった。むしろ、素直に有休を返上して、呼び出されてから超特急で自宅に戻り、任務に必要な一式をそろえて本部に来たことを褒めてもらいたいぐらいだ。
「まあ、いい。まずは何よりも任務だ」
「どこでなにを?」
気に食わない上司と部下ではあるが、お互い仕事の速さは認識している。話が乗れば、それなりに仕事は早い。
「南部の都市、キアナに帝国軍が攻撃を仕掛けた。君にはキアナへの援軍を率いてもらいたい」
「キアナ?」
胡乱げにソラはつぶやいた。彼はあの年都市に一度しか赴いたことはないが、それでもそう簡単に帝国軍の侵入を許すような防備の場所には思えなかった。
なにせ、あの都市は10年前の”アカメ”によって、防衛軍が壊滅寸前にまで追いやられている。その結果、二度とこのようなことは起こすまい、と共和国内でも屈指の防御力を図る都市となったはずだ。
それにかの都市は10年前――
「ああ。確か君が閣下に拾われた都市だったか」
「…ああ」
”ソラ”と”デイヴ”が生まれた都市だ。
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「あれえ、有休の人がなに遠征準備をしてんの?」
アグネスが落ち着いてから帰宅をしたデイヴは、ソラが遠征の準備をしているのを見つけ、訳が分からず首を傾げた。
慥か、ソラは明後日まで有休だったはずだが。なんで今急いで遠征の準備をしているのか。訳が分からない。
「命令だよ。キアナに行って来いと云われんだ」
「えー、そんなー」
あくまで事務的なソラの様子に、デイヴは口を尖らせた。そうだ、こいつは昔から、こうだった。キタイした自分が間違っていたよ。
「いつからなの?」
デイヴは通信機に自分のスケジュール帳を呼び出しながら、彼に聞いた。
昔っから、彼の予定は唐突過ぎてこちらの予定が狂って仕方がない!
「明々後日の明朝出発。それまでに準備を整えてこい、とのことだ」
「ふーん」
デイヴは勢いよく通信機の電源を切ると、さわやか笑顔を浮かべた。
「じゃあ、明日の夜は明けておいてくれよ!」
「は?」
楽しそうに部屋から去って行くデイヴをソラはただ茫然と見送るしかなかった。
「明日って、なんの日だっけ?」
電子カレンダーは7月31日を指しているが、全く訳が分からない。
そんなソラを横に、時計はただただ時を進めていた。
――彼の本質を問う、その事件までのタイムリミットを。