ユメアト

曇天焉んぞ 第一章 晴天


 宙を海を渡る船のように飛ぶ飛行船の数々。彼女の乗るバスも、またその一つ。
 共和国国立軍大学の二年であるリンは一学期を終え、寮から自宅への道にあった。

 僅か20数年前に建国されて以来、共和国は比較的繁栄を謳歌している。唯一と言ってもよいほどその繁栄に影をさすものはただ一つ。

 帝国だ。

 帝国。千年間続く統治を行う皇帝一家が治める国。もっとも、国という概念すらこの20数年の間にできたのだけれど。なぜなら、共和国が建国されるまで、国は存在しなかったから。帝国が全てを治めていたから、国がなかったなら。

 そんな中、全く存在しなかった国という概念を作り出し、自分たちを解放したソウは、共和国民によりとても尊敬されている。

 その恩恵は彼の縁者であるリンにも及ぶ。

 些細な事で例えれば、バスに乗り込む際に、荷物を運ぶのを手伝って貰ったり。

「手伝って下さり、ありがとうございます」

 リンは手伝って貰った眼帯を付けた青年に丁寧に謝辞を述べた。ーー誠実に。感謝の意ははっきり伝えなさい。物心ついてすぐの頃に亡くなったソウとの数少ない記憶の一つに、そのように教わったものがある。
 言葉には力が宿る。我々スメラ一族の信仰さ。それを忘れてはいけないよ、と。
 リン自身も尊敬するソウの言葉に従い、彼女は行動するのだ。

「いやいや、オレが若い時に初代にはお世話になったからね。その恩返しだよ」

 青年は朗らかに笑いながら彼女に話しかける。まるで親友の如く。その図々しさは、けして悪く受け取れないようなものであった。
 それに、と続けて青年は親指を後ろに向けて再び口を開く。

「君って、俺の友人と多分同族だから」

 同じスメラ一族という事か。
 しかし、リンは自分の同族はソウしか知らない。

「おい、眼帯、勝手な事言ってんじゃねーよ」

 リンの後ろから不機嫌そうな声が聞こえてきた。青年の事はよく分からないが、この声ならばよく知っている。
 なにせ、この声は。

「ソラくん⁉︎」

 幼馴染のそれだから。

「よぅ、リン。その眼帯の言う事はしかとしていいからな⁇」

 不機嫌そうな声に目つきの悪い顔。近寄りがたいオーラを醸し出すその青年は、片手にリンと同じくらい多い荷物を持っていた。

「え、ソラくん、そういうのはだめでしょ⁇」

 ソウの教えが良かったので、リンにはソラが言うことに従えない素直さがある。尤も、ソラにしてみれば、素直じゃない、なのだが。

「だってよ、ソラ⁇年長者を敬えよ」

 リンに同調して青年がソラに抗議するが、なんのその。

「うっせぇよ。てか、乗り場で止まんなよ。迷惑になってんぞ」

 ご尤も‼︎としか言えない正論を盾に、彼らの言い分を切り捨ててしまった。確かに、ソラの後ろにも何人か乗車待ちがおり、彼らも乗車を待っているのだ。

「すいません‼︎」

 礼儀正しいリンはお詫びの言葉とともに、バスの後方へと移動した。青年もソラも同じである。無論、二人は何も口に出しはしなかったが。

「えっと、ソラくんと知り合いなんですか⁇」

 座席に座るとリンは隣のソラのさらに隣の青年に尋ねた。ソラとは幼なじみではあるが、3歳彼の方が年上であることや、既に軍役に彼が付いているため、最近のリンには滅多に彼と話す機会がなかったのだ。尤も、会っていても、ソラが自身の交友関係を口にするとは思え無いが。

「あ、うん、そうだよ。軍の後輩。まあ、こいつの方が優秀だけどね」

「…なのになんでお前が俺より地位高いんだよ…」

 朗らかな青年と対照的なおどろどろしい雰囲気を放つソラ。それもそうだろう。徹底した実力主義の彼にとって、年齢で昇進が押し止められてるのは、腹立たしいことに違いない。

「まあ…お前のは人生経験もっと積め‼︎ってことじゃねぇの⁇」

 豪快に笑い飛ばす青年はソラの背中をバン‼︎と叩いた。この癖強い黒髪に眼帯の青年は、名をケマルと言う。30歳と通常より早く中佐に昇進した人物である。23歳で少佐になったソラと並び、出世頭である彼は、豪快かつ明朗な性格で人当たりが良い。そのためか、ソラのように昇進を阻止される、などという事も少ない。

 なにせ、ソラは少々きついところがあるので、どうしても上官に睨まれる、ということが少なくない。

「…うっせぇよ」

 少し考え込むようなそぶりを見せてソラはケマルに返事をした。なにか、影がある様な顔。時々彼はこのような顔をなぜかする。年齢や過去。それに関わる時だ、ということをリンは経験則で知っていた。

「ソラくーー」

「――けどなぁ、ケマル。どんなに経験積んでも口が軽いのは治らない、ってことはよーく分かったせ?」

 リンが慰めようとしたのを無視して、ソラはケマルへの報復を開始した。真ん中に座るソラの笑顔を見て、リンとケマルの顔が引きつった。立ち直りが早くてよかった、などという綺麗後とはさしもリンの頭から消え去った。嫌な予感しかしない。

「…ヒョットシテ、キミ、サッキノ根二持ッテル?」

 サッキノ、とは、ケマルの『君って、俺の友人と多分同族だから』発言のことか。成程、とリンは胸の中で呟いた。どうして怒っているのかが全く分からない。いかなリンがソラと幼馴染とはいえ、彼のことを全て知り尽くしているわけではないのだ。

「当たり前だろ?てめぇが勝手な事言うから変な噂広がるんだよ…」

 確かに、ソラ少佐といえば、根も葉もない噂に事欠かない。彼が辟易するのも納得がいく。

「そりゃ、悪かったが―ー」

「お前、其れ前も言ってたぞ?いい加減真面目に反省しろよ」

 これは怒られても仕方がない、が。

「ソラ君って私と同じ、なの?」

 謎の自然の三部族が一つ。”森のスメラ一族”。東の島に住み、三部族最大の勢力を誇るという。彼らは太陽を信仰し、言葉に力が宿ると信じているらしい。そして、一番力の強い者はオッドアイを持って生まれ、"ヒコ"と呼ばれるのだという。

 リンの敬愛するソウもまた、ヒコの一人であった。彼は一族特有の癖のない黒髪に青と緑の瞳を持っていた。

 そして、ソラもよく見れば、ソウと同じ様な髪質の持ち主だーー彼の方が少し癖は有るにしても。

 ソラは少し考え込む様に、髪の毛を弄りながら、口を開いた。

「さて、な」

 お前はどう考える⁇自分で考えろ。そう、黒瞳が告げていた。

「お前がこの際友人勝手に招いていたことに関しては、もう何も突っ込まねぇよ…ただ、コレに関しては弁解して貰うからな⁉︎」

 元帥宅に、ソラの怒声が気持ちイイほど響いた。が、それに対応する勇者の声も当然比例して大きくなる。

「ビール片手に帰宅する似非軍人に言うことなんて何も無いよ‼︎」

「あ"あ"⁉︎」

「あのー、シャワー借りても…」

「黙れよ、眼帯」

 ここまで来ると、単なる八つ当たりにも聞こえなくは無い。玄関に佇むリンは頭を抑えた。

 簡潔に状況を説明すると、

1:リンがソラの家(元帥宅)に遊びに行くことが発覚。(ソラとケマルは所謂宅飲みをしようとしていた)

2:何も知らされていなかったため、少し怒り気味なソラが玄関に入る。

3:何故か白い物体がソラ目掛けて飛来。

4:ソラ、ケマルを盾にして避難。

5:当然物体はケマルに直撃☆

6:ソラ、主犯のデイヴを捕まえ、説教へと。

 疑いようもなく、ケマルが被害者でしかない。しかし、このリンの幼馴染達の眼中にケマルの惨めな姿は無いのだろう。これまたリンは経験則で知っていた。

「ソラくん、デイヴ、シャワーお借りするね…」

 こっちです、とリンはケマルを案内する。幼い時から義両親についてこの家に遊びに来ていたので、どこに何があるかはしっかり把握している。

「す、すまない…」

 若手の出世頭の一人はそう言って、白い物体で汚れた軍服のジャケットを脱いだ。

「…大学生になって顔面パイはないだろ…」

 それな、とは誰もが思ったことであった。

「というか、ソラって任務中じゃなかったの⁇」

 顔面パイの罪悪感はどこに行ったのか、飄々とデイヴはソラに尋ねた。

 数週間前に、暫く戻らないとだけ告げて遠征に西端の都市へ赴いたソラが自宅にいるのだから当然だろう。

 デイヴの友人達とは離れたところで、ケマルと酒を片手にチェスを嗜むソラは、駒を差しながら淡々と返した。

「上官の立てた無謀な作戦について文句言ったら、中央に返品された」

 デイヴ達の場所からソラの顔は見えないが、確実にソラは苦々しい顔をしているのだろう。自身の提言が無視されるだけならともかくも、それが原因で中央に送還など。自尊心が相当に傷ついているに違いない。

「あの作戦で防御線破られたり、都市が帝国に占領されたりしなかったら、臭いぜ、あの爺」

  ソラは苛ついている様子を隠そうともせずに、上官への批判を言い切った。

「爺って、俺より上の大佐だから、彼、40歳とかだよね…」

  彼らの昇進がかなり早いだけで、普通、大佐は40歳に昇進出来ればいい方だ。

  ソラはケマルの苦笑に満ちた言葉を無視してコーヒーテーブルに備え付けられたホログラム・プロジェクターの電源をつけた。そのままファイルを開き、先程まで自分が赴いていた西端の都市、ザルツバーグの地図を投影した。この都市は今、帝国に激しく責め立てられている。

「こんな布陣だったんだが」

  ソラの見せる映像に見入りながら、リンとアグネスはこれに侵入するあらゆる方法を考えた。が。

「えっ、これそんなに悪い布陣じゃなくない⁇」

  デイヴはそんな呑気なことを言っていたが、彼女達は顔を曇らせた。

「臭い、かもしれませんね」

  大学生にですら、これは穴だらけの作戦としか言えない。確かに、何も考えなければ良い作戦に見えなくもない。しかし、布陣を見る限り、東側の守りが薄すぎる。いくらそちらがより内地に向いているとはいえ、都市の設計の都合上、東からも攻め込むことは可能だ。更に言えば、一番近い都市からどんなに早く援軍が駆けつけるにしても、30分はかかる。今までの帝国の戦略の情報を考える限り、30分もあれば、この薄い防御戦は余裕で突破出来るだろう。

「だろ⁇」

  ソラの言葉に、三人は頷いたが、デイヴだけは頭にクエスチョンマークを浮かべている。

「えっ、分かんないよ⁇」

  そんなデイヴを一瞥したソラは容赦のない言葉を吐いた。

「馬鹿は黙ってろ」

「酷い‼︎」

  馬鹿と言われるのはいつもの事だが、ここまではっきり言うなんて。という思いがくっきりと出ている。

  そんなデイヴの顔をみたケマルが堪えきれずに噴き出した。

「くっ、あはははははは‼︎」

「ケマルさん⁉︎」

  素っ頓狂なデイヴの声に、更に刺激され、ケマルの笑声は更に続いた。

  そんな帝国と戦争中とは思えぬ程穏やかな生活を送る共和国へ、ザルツバーグが守られた、との報が届くのは、その一週間後の事であった。

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